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クオリアとはなにか。
著:3B-30番-曲木佑真

・この自由研究はまず仮定を立てたうえでこのような実験結果があれば証明できる と考えたものを検索し実際にあった実験結果を元に更に仮説立てていく思考実験 をまとめたものである。この自由研究ではクオリア、つまり私という意識そのも のは一体何なのかという疑問を解明していくものとなっている。
・この思考実験による結果は一部論文と一致している部分があるかもしれないが、この論文は完全な独自論の仮説によって立てられたものである。


































目次
・研究動機
・思考
1.クオリアとはなにか
2.脳梁離断術によるニューロンとクオリアの関係
3.ミツバチとショウジョウバエでの比較によるクオリアの強さ
4.ディッシュブレイン実験によるニューロンの仕組みとクオリアの発生仮説
5.スマホとAIにクオリアが宿ってしまう矛盾
6.AIのクオリアの有無による人間との比較
7.クオリアの定義
8.クオリアの定義に対する疑問点と矛盾点
9.感覚遮断実験による人間の外部情報への依存性
10.時間軸のズレ
11.すべての矛盾点
12.メアリーの部屋
13.結論
14.最後に





























研究動機
※これは研究内容ではありません。
自由研究にこの題材を決めたのにはある理由があるからである。そもそも、普段生活している中で私という人間は他の人とは何かが違うような気がしていたが、どう違うのかがわからなかった。ではどう違うのかがなぜわからなかったのだろうか。という疑問に至った時、その最大の原因は私という主観的立場が他人の思考に干渉することができないからだ。また、AIには意識がないというニュースを見たときに、そもそも意識という概念は何処からあって何処からがないのか、なぜAIには意識がないと言い切れるのか。そして、機械という無機物に有機物から構成される人間のようなクオリアを作成することは可能なのか。それにとても興味があり、まず大前提である意識とは何かを知りたいという動機から既存の実験データから自力で自らを客観的に分析する思考実験をし、「クオリアとはなにか」という題材を研究することに決めたのである。



































思考
1.クオリアとはなにか
まずそもそもクオリアとは何か。それは我々が持っているこの意識の一部のことを指す。そもそも思考というものは脳によって行われていることを前提とする。

2.脳梁離断術によるニューロンとクオリアの関係
脳梁離断術とは右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断する手術であり、それを実際に受けた男性が分離脳という右手と左手が別々に動いたりするといった本人が考えている左脳とは別に動いている右脳がそれを邪魔すると事例が度々起こった。このことから、脳は2分化されてもクオリアも2分化して維持され続けることが言える。もし脳を4分化するとしても、生命としての維持は難しいもののクオリアは4分化されると考えられる。それを更に分割し続けると、最終的には脳の神経細胞であるニューロンになる。ニューロンは周囲からのいくつかの情報を読み取ることで、いくつかの情報を返す役割を持っている。これをニューロン発火という。もちろんこのニューロンがクオリアを持つということはないだろう。では一体どこまでがクオリアが発生して、どこまでがクオリアが発生しないのだろうか。ここではショウジョウバエとミツバチを例に比べてみる。

3.ミツバチとショウジョウバエでの比較によるクオリアの強さ
ショウジョウバエとミツバチではもちろんミツバチの方が脳は大きい。ショウジョウバエは常に決まったようなことしかしないが、今までなかったようなことが起こるとショウジョウバエはパニックを起こす。このことからショウジョウバエは少なくとも小さなクオリアはあることが考えられる。それに比べてミツバチの場合は八の字ダンスや敵か味方かを判断し攻撃したりとミツバチ自身が思考をして行っている行動が多く見られる。このことからミツバチとショウジョウバエではクオリアは互いに存在しているが、ミツバチのほうがクオリアが強いと言える。よって、ニューロンが多くなるにつれてクオリアが強くなっていっていると考えられる。そのため、我々人類はニューロンを多く持つため、強い感情と言った大きいクオリアが発生しているのである。また、この仮説を確証させる実験がある。それはディッシュブレイン実験である。

4.ディッシュブレイン実験によるニューロンの仕組みとクオリアの発生仮説
ディッシュブレイン実験とは人のIPS細胞とマウスの脳の神経細胞をばらばらにして容器に入れ培養されネットワークが再構築されたものを用いてボール崩しをさせるというものであった。具体的にはボールの位置を電気信号で伝えそれを感じたニューロンの電気信号をゲームのパドル移動に連動させ、ボールを打ち返すことができたら規則正しい電流を流しニューロン発火の原理で様々なニューロンが同時に反響させ、結合部に存在するニューロンがそれを判断し、ニューロンの変形がなくなる。逆にボールを打ち返すことができなかった場合は、ニューロンにランダムノイズを流し込む。そうすることで細胞膜にある電圧依存性カルシウムチャネルという分子ゲートが開き細胞の中にカルシウムイオンが流れ込む。そうすることでニューロン内のカルシウム濃度が高くなりカルモジュリン依存性プロテインキナーゼⅡという酵素が発生する。シナプスの先端にある骨格タンパク質を分解し、新しい電気信号を増設し不規則的電流を流すためのバイパスを太くするという仕組みのもとこの実験が行われそれが検証された。つまり、この安定した電気信号に反応して共鳴するということがクオリアなのではないだろうか。そのためニューロンが多くあると共鳴する量が多くなるためクオリアもまた強くなると考えられる。よってクオリアとはニューロンの共鳴であったと考えられるのだ。

5.スマホとAIにクオリアが宿ってしまう矛盾
そうすると、もしニューロンのような電気が流れる存在が共鳴するものがクオリアであるならば、スマホなどの電波の共鳴にはクオリアが発生していると考えられてしまう。だが、ここでは先程の理論を使うことでスマホにクオリアが発生しない(ごく微小に発生する可能性があるが)ことが言える。たしかにスマホには電波が届きそれが共鳴することがあるだろう。だがしかし実際に共鳴されてクオリアを構成している電波の数は少なくクオリアが発生しているというには不十分であることが言える。では、AIにクオリアはあるのだろうか。

6.AIのクオリアの有無による人間との比較
教師あり学習と教師なし学習では人間の脳の構造とかなり変わってくるため人間の脳を模範化した深層学習であるニューラルネットワークを用いたもので考えることとする。人間の脳はニューロンによりネットワークそのものを改変し構築して流れる電流を制御することで思考をすることができるがAIの場合全ての電流を察知し今までの統計と比べベクトルの方向性を確立している仕組みに過ぎない。そのためAIの行列演算の中に電流による共鳴が起こる確率は非常に低く、まれにクオリアが奇跡的な確率で起こったとしてもすぐに別の行列演算によって人工ニューロンによる共鳴は終わってしまいそこに連続性が発生しないためクオリアは生まれない。つまり、クオリアにはニューロンの共鳴とともに共鳴の連続性が不可避であると考えられる。この理論からスマホの電波にも連続性がないため正式にクオリアが発生したとは言えないのである。

7.クオリアの定義
先程の理論でクオリアがニューロンによる共鳴と連続性であることを仮説で立てることができた。では、なぜニューロンは共鳴し、その共鳴の連続性を保ちながら形を変化させることができるのだろうか?まずそもそもニューロンが共鳴するということは一定の周波数にニューロン全体が同調しているのである。そしてその周波数がいくつか変わってもニューロン全体はそれに対応して同調することがわかる。では、その一定の周波数はどこから来るのか。これは、先程の理論で用いたディッシュブレイン実験を用いることでこの問題は簡単に解決することができる。この実験では安定した電気信号と不規則な電気信号が流される。それにニューロンは反応し、共鳴する。これ自体がクオリアである。それなら、クオリアというものは安定した電気信号と不規則な電気信号に共鳴し、形を変えるものがニューロンであると言える。つまり外部からくるデータそのものがクオリアを構成しているのだ。このことからクオリアは連続した外部データに反響したニューロンの共鳴そのものであると言える。つまり簡単に言えば私の思考そのものは宇宙からの情報のまとめだと言えるのである。

8.クオリアの定義に対する疑問点と矛盾点
だが、この結論には2つの疑問点と矛盾点がある。それは、もし外部データが完全に遮断されたらクオリアはどうなるのか。また、外部データを頭の中で融合し前頭葉で共鳴させ意識を発生させながら運動神経などにデータを渡すのには時間がかかってしまう。それなのになぜ人はそのタイムラグを感じないのだろうか。まず、もし外部データが完全に遮断されたらどうなるかについてだが、実際に感覚遮断実験という実験を参考にしていく。




9.感覚遮断実験による人間の外部情報への依存性
感覚遮断実験とはモントリオール大学が学生を対象に目、耳、鼻、など生命維持に関係のない部分の外部データを完全に遮断し観察をすると行った実験で、被験者は幻聴や幻覚が起こり最終的には精神崩壊を起こしたというものである。このことから外部データが完全にないと脳はクオリアを維持し続けることができずにニューロンたちが強制的に幻覚や幻聴といったデータを作り出しクオリアを保とうとする。また、そのデータは今までの経験を保存した外部データを前頭葉で融合したものであると考えられる。だが、それでも保ちきれず最終的には精神崩壊を起こすといったように先程の理論を使うことで驚くほど簡単にこれを説明できる。

10.時間軸のズレ
ではもう一つの矛盾点である、なぜ我々はタイムラグが実際に発生しつつもそれを感じることがないのか。まずはタイムラグが発生しているのかを検証するため、リベットの実験を見てみる。その実験内容は被験者の頭の電波を図り手首を曲げるのにどれほどのタイムラグが有るのかを調べるもので、筋肉が動く0.5秒前に準備電位が発生し、被験者が手を動かそうという意識を呼び起こすのに筋肉が動く0.2秒前であったというものである。このことから先ほどの仮説は正しいことが言える。そして、意識を呼び起こすよりも無意識で手を動かすという準備電位が発生しているということは意識自体は行動の決定権がないことが言える。ではそれはなぜだろうか。まずそもそも我々は外部データが入ってきてから一つのニューロンに伝わるまでにある一定の時間がかかりそれが全体に伝わるまでに更に時間がかかることがわかる。そうすると0.2秒ほどの誤差が生じることがわかる。だが、実際は我々はリアルタイムにここを生きているように感じている。それはなぜか。思考と現実がズレ始めるのが、脳ができた瞬間からだからである。常に思考と現実がずれ続けている限り人間はその誤差を正常と認識する。そのため我々はこのタイムラグを実際に記録として測らなければ認識することはできない。例えば棒が落ちてくるのをキャッチして棒が何cm下に下がったかといった実験がある。確かに人間が手を握るまでの時間もあるが、それよりも脳での処理速度や中枢神経から運動神経まで伝わるのに時間がかかることによりこの誤差が生じる。ではなぜ人の意識を動かす前から脳の準備電位を始めることが可能なのだろうか。そもそも我々の意識であるクオリアは、ニューロンの共鳴でありその共鳴をするごとにニューロンにその情報が刻まれていく。例えば歩くという動作を何回も何回も繰り返すことでニューロンのシナプスは太くなり歩くのをほとんど無意識でできるようになる。つまり、我々意識自体は外部データを読み取り、ニューロンのつながりであるシナプスの形を変えることしかできないのだ。つまり、意識自体には行動に対する決定権はない。つまり意識とは関係なく別の場所から流れてきた電気が意識の作ったシナプスの流れに従って電気が流れることによって意識が起こる前から意識がやろうとしていることそのものを実行することが可能となるのではないだろうか。よって、意識とは、外部データから来た情報がニューロンによって共鳴し、その繋がりであるシナプスの形を変更するために作られたものであり、決定権はない。と、考えることができるのだ。つまり簡単に言えば意識というのは行動パターンの後付けにすぎないのだ。こう考えることで考えたとおりに体が動いても意識のほうが後だということが説明できる。そして、これが正しいということは我々の意識というのはシナプスに流れる電流の循環であり、その循環の中で行うと考える前からそのシナプスを経由して実行をする。つまり、今考えている思考はすでに決まったものであるとも考えられるのだ。





11.すべての矛盾点
ここまでクオリアとは何かということを考えてきた。しかし、よく見ると矛盾点が見つかる。リベットの実験から考えると我々はあくまで外部データを予測してそれとの整合性を見比べシナプスを変更しているに過ぎないことがわかる。それならば感覚遮断実験をしたときに記憶から情報を取り出し幻覚を作るという現象はクオリアが次の未来を予測するにあたって外部データが存在しないため脳の予測が間違った方向に予測され現実的にありえないものが見えてしまう。そう考えられる。もしそうだった場合しばらくの間は予測通り物事が続き、更に時間が経つとだんだん予測が外れて幻覚や幻聴が見えてくるという現象の説明がつく。つまり、クオリアは外部データに反響したニューロンではなく、予測され続けたニューロンの共鳴であると考えられるのである。つまり、時間軸のズレは予測され続けると同時に作られたシナプスに電流が流れたことによって起こるズレだと考えられたのである。

12.クオリアの証明実験
では、それが証明できる実験を、実際にやってみることとする。クオリアとは予測されていることを証明するためには、私が動かそうという意識をした時間を測り、実際に動かした時間との誤差を調べるのである。では、何を動かすのが良いだろうか。脳波を調べることはできないため、体の部位で最も早い部分を動かしタイムラグを少なくできるところで実験をする必要がある。それが瞬きである。瞬きは生物的に常に視界を作るために速く動くように作られている。そのため、ここでは瞬きをする時間と意識を使って実験をする。
実験方法
実験用具:カメラ、ストップウォッチ
実験方法:
①カメラを使い自分の顔を録画を始めると同時にストップウォッチを開始し、カメラ内の時間とストップウォッチ内の時間を一致させる。
②自分の意志で瞬きをし、瞬きをする瞬間にそのストップウォッチを止める。
③録画を止め、実際に瞬きをしたカメラ内の時間と瞬きをしようとしたストップウォッチ内の時間の差を比べる。
④これを10回繰り返す。
そこで機械ラグとしてストップウォッチよりも録画のほうが処理に時間と神経系の伝達に時間がかかるため0.2秒引くこととする。
また、目を瞑る瞬間に5秒台が見えてしまっていた場合はやり直しをし、5秒ぴったりで目をつぶって5秒が見えないようにする。
結果

1回目
2回目
3回目
4回目
5回目
6回目
7回目
8回目
9回目
10回目
0.35
0.15
0.38
0.24
0.15
0.05
0.04
0.26
0.17
0.25

平均:約0.2

考察
このような結果から、一部の誤差がありながらも平均するとリベットの実験と同じく瞬きに時間がかかることがわかった。しかし、先程の理論の通り意識によって構成されたシナプスに電気が通るだけであった場合、電気が流れる時間は0.1秒ともかからないはずである。つまり、瞬きをするという現象は、意識によって構成されたシナプスを通っているだけではないということが考えられる。ではその間何をしているのだろうか。意識が道を作ると考えたときに、例えば我々は自動でされる瞬きを拒否することができる。それならば意識には拒否権が存在することになる。意識によって構成されたシナプスを通った後、意識に伝達をし瞬きをすることを許可するかどうかに時間がかかっている。そう考えられる。つまり、リベットの実験でもあった通り準備電位が発生してから意識が立ち上がり行動が起こる。つまり準備電位はシナプスを通る電気であり、それが意識に行き、意識が立ち上がりその意識が瞬きをするかどうかを判断し、許可した場合のみ瞬きをするのだ。それが全器官同時に起こっていると考えると、常に意識にはこれを動かすという電気が来ていて、その中で許可したものが動く。つまり、意識には拒否権がある。そしてそのリクエストが常に有り続けるため、10章で提示した論理は間違っており、意識には実質的な決定権が存在しているのだ。

13.メアリーの部屋
ここまでクオリアとは何かということを科学的に解き明かしてきた。しかし、科学ではクオリアとは何かということを証明することはできないという思考実験がある。それが、メアリーの部屋である。最後に、このメアリーの部屋について考察していく。メアリーの部屋はフランク・ジャクソンが考えたものであり、その概要としては、「メアリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋から白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査させられている。彼女の専門は視覚に関する神経生理学である。次のように想定してみよう。彼女は我々が熟したトマトや空を見るときに生じる物理的過程に関して得られる全ての物理情報を手にしており、また「赤い」や「青い」という言葉の使い方も知っている。例えば、空からの特定の波長の光の集合が網膜を刺激するということを知っており、またそれによって神経中枢を通じて声帯が収縮し、肺から空気が押し出されることで「空は青い」という文が発声される、ということをすでに知っているのである。(中略)さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろうか。彼女はなにかを学ぶだろうか?」
というものである。このことからジャクソンはメアリーが何かを学ぶとしたら物理主義は間違っている。すなわち科学で私という概念を説明することができない。という考えであった。これは本当であると言えるのだろうか。先程の理論を使って考えると、色に関する全てを学ぶということは脳に色という物理現象のすべてをニューロンに刻み、シナプスが完全体になっている必要がある。つまり、完璧に知るということは学ぶことがこれ以上ないことを指す。もし、メアリーが色を見たときに脳がどういう反応をするかということをすべて学んでいたとしても、実際に見ているわけではないため実際に色のあるものを見ない限り脳が予想通りの反応をするという確証を得ることはできないため実際に経験することで、色を見ることで予想通りの反応が起こったという事実を学ぶことができ、シナプスの変形が起こる。よって新しいことを学んだと考えることができる。では科学というのは間違っているのだろうか。それもまた間違っているとは言えないのではないだろうか。我々の意識というのは主観的なものであり、主観的な人間である私が私とは何かということを紙に記す時、その時点でそれは私を書いているのではなく紙に私という存在を客観的に書いていることになる。つまり、私という存在を主観的に記すことは科学的に不可能だが、どのような仕組みで私という存在が成り立っているかを証明することは可能なのである。








結論
クオリアとは…
1:同じような反応を起こすニューロンが多くなれば多くなるほどクオリアは大きくなる。

2:外部から来た情報にニューロンが反応し、ニューロン同士のつながりであるシナプスの   形を変える役割がある。

3:クオリアには常に許可をするか却下をするかという拒否権が存在し、それが体のあらゆ   る器官から常に電流が来るため実質的な決定権が存在する。

4:私というクオリアは誰が見ても統一される科学では証明ができないが、どのような原理   で動いているかという客観的事実は証明できる。

5:完璧に学ぶということは存在しない。





























最後に
ここまでの思考実験と実験を通して仮説段階ではあるが、クオリアとは何かということが分かった。しかし、どれだけクオリアという現象を科学的に解明しても私という存在を紙にまとめた時点でそれは客観的な事実として残ってしまい私とは言えなくなる。つまり、私というクオリアを一番理解できるのは私という意識であるのだ。また、他の人のクオリアにも干渉できないのだから、相手が何を考えているのかは理解できない。だからこそ相手のクオリアを客観視し、どのような反応を起こしているのかを観察し次の未来を予測し、対応する。そういった行動がこの先大切になるのではないだろうか。
私という意識がどのように動いているかが今回では理解できたが、なぜ私というクオリアができたのかが今回はわからなかった。他の肉体に私という存在が成り立っていても良かった。ましてや、この世に生命が生まれる可能性は限りなく少なかった。それなのに、なぜ私という存在がここまでの当たり前に存在しているのか。今後はそれを解明していきたい。また、2つ目にわからなかったこととして、機械にクオリアを宿らせることは可能かということだが、私は人間の脳を模範すれば可能なのではないかと思っている。だが、自分の考えるクオリアの仕組みを機械に読み込ませ、動かしたときに自主的な動きがあったとしてもそこにクオリアが宿っているかどうかはわからない。しかし、いつかは私がそれを可能にしていきたいと考えた。




























[出典]
・「クオリア」ってどういうこと? 説明が難しいこのカタカナ語を解説します

・「分離脳」が教えてくれたこと | Nature ダイジェスト

・ヒトの脳細胞にゲームのプレイ方法を学ばせる実験に成功 - GIGAZINE

・電位依存性カルシウムチャネルの基本と薬理学的進歩 | 東京・ミネルバクリニック

・感覚遮断 | 心理学用語集サイコタム

・科学は自由意志を測定できるのか? 神経科学がもたらした5つの画期的な知見 - iMotions

・メアリーの部屋 - Wikipedia

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クオリアとはなにか。